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周りから中心

今年の夏は最初カーッと暑くなって夏らしいと思っていたのが、お盆期間になってからは曇り・雨が続いて、ここ2~3日は特に涼しく、肌寒い秋を感じさせるような気候が続いています。

秋の夜長では無いですが、映画を何本か観ました。

『もののけ姫』

『アド・アストラ』

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

結論から言うと、どの映画も当たりでした。

観ていて気づいたというか、個人的に印象を受けた共通点は”描かずして語る”ということでしょうか。

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『もののけ姫』

言わずもがなスタジオジブリの名作です。

いままで2〜3回は観ていると思いますが、今回はもう少し全体を俯瞰して観てみました。

「自然と人の共生」や「過度な近代化への警鐘」などメッセージとしては読み解き方がいくつもあると思われますが、今回シンプルに感じた印象としては、宮崎駿が描く丁寧な「周り」でした。

人間が起こすどんなに残酷な状況においても、自然は壮大に青々と描かれるし、小さな人間の心の深さを表現するには申し分無い久石譲の音楽は、”辛い・苦しい・痛い”と言ったセリフを一切吐かない主人公アシタカの心を正に表していることが見て取れます。

この物語は、色々な描かれ方をしているけど、一貫して描かれているのは”アシタカの物語”であること。つまりアシタカは何も語らずとも、周囲を丁寧に描くことにより、アシタカの存在を浮き上がらせてくること。

この手法…どこかで見聞きしたと思ったら、紫式部の『源氏物語』と一緒ですね。

光源氏は中心にいるなれども、描かれるのは周囲にいる女性。

光源氏は次から次に容姿も性格も違う様々な女性と出会い・別れを繰り返していくものの、描かれる個性は明らかに”周囲である女性たち”であること。

運慶ないしはミケランジェロも同じですね。

そこにある木ないしは石を彫る時に、彼らは何かを作ろうとしていない。すでにそこに存在しているものの、”周り”を削りとっているだけ。

そこに”埋まっているものを取り出すだけ”だと言います。

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『アド・アストラ』

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静かな映画でした。印象としてはもう確実にスタンリー・キューブリックの世界です。

それでも最初の宇宙空間(大気圏?)から地球に落ちていくシーンや、宇宙空間でのカーチェイス、他にもあるアクションシーンは、

主人公が極度に”落ち着いている人間”であるとはわかっているものの、結構ハラハラドキドキ…

キューブリックもまぁそうか… シャイニング、フルメタルジャケット、時計じかけのオレンジ、どれも”いきなり感”ありますもんね。

個人的にはブラッド・ピットも、こういう静かな孤独人を演じる年齢になりつつあるんだなと思った点は、感慨深いものがありました。

少し前までは、ライアン・ゴズリングが背中で泣くのが一番上手い男だと思っていたのですが、

今回のブラッド・ピットは背中でベソかけるようになってきたと思いました。

それと、トミーリージョーンズの本当の年齢が分からなくて、本当にわかりません。

(あの人、BOSSのCMのせいで、本当に宇宙人になっちゃったんじゃないすかね…笑)

リブ・タイラーは、アルマドン以来で、おぉ!ラックススーパーリッチ久しぶり!しかもまた宇宙モノだ!と…少し興奮しました。

ブラッド・ピットが何も語らず、ただ何も無くて、お花畑が広がるお部屋で静かに悩んでいる…

宇宙空間だけでもそうですが、”孤独”を色々なカタチで表している作品でした。

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

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これはもう衝撃的な映画でした。

ブラピ&ディカプリオという究極のコンビ。

どちらも最高にいい味出してます。これぞ映画!最高のフィクション!

ブラピ&ディカプリオを使うことで、リアル感を出しつつ、実は究極のありえない世界線を描きます。

まずブラピ…もうマッチョでゴリでセクシーでスタントマンで…隣にいたら女でなくても惚れるわい!飼ってるワンコが最高に賢くてキュートなボクサー犬。

ディカプリオ…そもそもリアルに演技が最悪な事を証明しつつからの、8歳の女の子の前で泣いちゃうし、演技前日に3〜4杯なら許せるウイスキーサワーを8杯も飲んだことで自分を責めるところも、もう本当に最高です。

そこに来て、コテコテの悪役をやらせてみると、もうベタベタのコテンコテンな演技なのに、すんごい上手い!感動しちゃう!これタランティーノ天才ですよね。

そこから見せるディカプリオ節も、もう最高で…いやハリウッドっていうか、日本の芸能界とかもそうなんでしょうが、こうコテコテのベタベタってやつ…これ私たちわかってて見たいんですね。

そんなギャグ満載の世界と並行して、リアルに存在する、チャールズマンソンとポランスキー・シャロンテート夫妻の殺害事件を、”こう描く”という。

最後のシーンも、そうか…これはオマージュであり復讐なんだなと。

タランティーノはギャグで描きながらも、とんでもない社会性に富んだメッセージを送ってきていて、本当に頭のいい人だな…と思いました。

色々なメタファーが取り入れられているものの、

ブラッドピットという影がいて、そのブラピに支えられている光としてのディカプリオがいる。

またこの二人のいる世界=ハリウッドも、このような様々な人々によって出来上がっている。

映画という世界自体が、虚構(フィクション)であり、現実世界も似たようなものである。

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踊りも同じものなのかもしれない。

現実は小さくて、リアリティで、キラキラしていなくて、ふわふわしてなくて、しっかりと足を地面に着けて、大きく動きすぎない。

でも全身で動くことで、大きく動くし、身体を捉えることで、整った美しい動きが”勝手に”起こる。

やろうと思っても出来ない。でもやろうとしなければ出来ない。

■簡易的だけど体系化するとこんな感じでしょうか…

意識してやってみる

出来ない

続けるうちに少し出来るようになる

意識して出来るようになる

意識しないで出来るようになる

“出来る”という概念すらなくなって、自分のモノになる。(”勝手に出来ている”)

3本の映画をみてより深く考えてみたこと、周り”で起こっているものから"中心"を捉える

そんなことを考えた夏休みでした。